暑い、と。
 普段の無駄なくらいに溌剌としたそれとは比べ物にならないほど情けない声で、
 目の前の子供がポツリと云った。

 

 

 

 

 

 キミの体温

 

 

 

 

 

 

 空は快晴。
 水の気配が全く感じられない大気は、流れる事がなく熱を孕んでいる。
 時折、微かに吹く風も、清涼な空気を運んでくれる気配はない。
 都会の雑踏の中に比べれば、いかにも田舎然としたこの場所は木陰も多く、
 きっと過ごし易いに違いないとは思うのだが。

 自分は妖、目の前の子供は人間。
 所詮は身体の温度調節機能の仕組みが違う。
 ぼんやりとそんな事を考えながら、いつもより緩慢な動きで歩を進める子供の
 真横に移動した。

 「だらしないねぇ、ニィちゃん。」

 少しばかり揶揄ってやろうかと声をかければ、子供は恨めしそうな瞳で
 こちらを見上げてきた。
 いつも触角のようにひょこりと伸びている前髪が、心なしか今日は
 くったりと垂れ下がっているような気もする。

 「フエは暑くねーの?」

 拗ねたように口を尖らせ、それでもやはり普段よりは覇気のない声で。
 問いかけつつ、歩いていた道から外れ、ふらふらと涼を求めて木陰へと
 移動する子供の後を追う。

 「俺は妖だからな」

 問いかけに短く答えると、手近な木の幹に背を預けて座り込んだ子供が、
 何だソレ、ずりぃ、などとぶつぶつ文句を云った。
 しかし突然、ふと何か思いついたような顔になり、フエ、フエ、と呼びながら
 こちらを見上げ、小さな掌でぱしぱしと自分の前の地面を叩いてみせる。

 …それはつまり、そこに来い、という事か。

 犬や猫じゃあるまいし。
 ツッコむべき場所は幾つかあった気もするが、それを云ってみたところで
 この子供は聞く耳などもちはしないだろう。
 先ほどまでの憔悴した様子は既にその表情にはなく、瞳がキラキラと輝いている。
 こんな顔のこの子供に何を云っても無駄だという事は、身に染みて知っている。
 半ば諦めるような気持ちで影に潜り込み、子供が投げ出した細い脚の間へと移動した。
 座り込んだ子供の目の高さに合わせて上半身だけを影から出すと、どことなく嬉しそうな
 光を湛えた瞳とかち合った。

 「妖怪はさ、暑いとか寒いとか、あんまり感じないのか?」

 「…個体差はあるだろうけどな。」

 ふーん、そうかぁ、と妙に得心顔で頷いてみせる。
 本当に分かってんのかね、と頭の隅で思いながら、子供の顔を見つめた。

 「じゃあ、じゃあさ!どれくらいならあついー、とか、さむいー、とか感じるんだ?」

 「そうだな…人間だったら死んじまうくらいの暑さとか寒さ、かな」

 個魔はぷれい屋を守る盾だ。
 撃符による攻撃を一手に防ぐこの身体が、人間の体感温度程度に耐えられない
 ようでは話にならない。目の前の子供が感じている温度など、暑いとも寒いとも
 感じないのだ、妖の身体は。

 面倒臭い事を聞いてくるな、と思いつつも答えてしまっている自分に苦笑する。
 いつの間にかこの子供に慣らされているのではないかとも思うが、別段それが
 嫌な訳でもない。その事に更に苦く笑いながら子供を見遣れば、
 「人間が死んでしまうくらいの暑さや寒さ」がいまいちぴんと来ないのか、
 頻りに首を傾げていた。

 「うーん、よく分かんねーけどなんかスゲェな!!」

 …やっぱり分かってねぇのかい、ニィちゃん…。

 呆れた、と云った風に大仰な溜息をついて見せたが、既に相手もこちらの悪態には
 慣れてきているらしく、全く意に介した様子もない。それどころか。

 「っ、なん…だ、ニィちゃん?」

 思っても見なかった子供の行動に、一瞬だが怯んでしまった。

 小さな掌が、頬に当たる感触。
 驚きを隠せない声音で問いかければ、少しだけ身を乗り出して頬に触れてきた
 子供が、何か感心したような表情で瞳を瞬かせた。

 「お、なんかひんやりする!」

 何故か楽しそうな声を上げ、更に空いている方の手も無遠慮に触れてくる。
 両頬を挟まれる形で触れられている状態で眉を顰め、困惑の表情を浮かべてみても、
 目の前の子供には全く通じていない。

 「よく考えてみたらさ、オレ、フエの肌に触った事なかったなぁ!
  前に手は握った事あるけど、手袋してるしさ!!へえー!!」

 話しながらも、触れた手を離すつもりはないらしい。
 どさくさに紛れて頬をつねったり引っ張ったりしている子供を、無言のまま見つめる。
 正直なところを云えば、戸惑っていた。

 例えば撃符での攻撃から身を守るため、とか。
 すぐに無茶をするこの子供を諭すため、とか。
 自分の方から子供に近付き、触れる事は多々あった。
 しかし考えてみれば、相手の方から近付いてくる事など…ましてや直に触れてくる事
 など、今までなかったのではないだろうか。

 表面上は無表情なままだが、心の中では色々な感情がぐるぐると渦巻いていた。
 困惑し、多少混乱する。
 別段、気にするような事ではないはずだ。四六時中共に行動している訳だし、
 自分とこの子供は「ぱーとなー」なのだ。相手に触れる事も、触れられる事も、
 あって当然ではないか。
 頭では理解しているのだが、別の何かが、それに追いついていかない。
 妙にもやもやとした気分になっている己の個魔の心情などまるで気付く事なく、
 相変わらず頬に触れた手は離さないまま、子供は余計な一言を云った。

 「フエって顔色悪いからさー、触ったら冷たそうだなーって思ってたんだよな!
  やっぱり冷たいんだ!見た目通りだな!!

 …そりゃ喧嘩売ってるのかい、えぇ?ニィちゃんよぉ。買うぞコラ。泣かすぞ。

 そう云ってやろうかと口を開きかけた時、子供の手が頬から離れた。
 開きかけた口が言葉を綴るより早く、胸の辺りに小さな重さを感じ、瞬きをした。
 たった今、自分の目の前で起こった事なのに、何が起こったのか理解できない。
 重さを感じる胸の辺りに目をやると、見慣れた赤と白の帽子の、天辺が見える。

 「あー、やっぱり気持ちいー!!ひんやりしてる!」

 「…何してんだい、ニィちゃん…」

 見下ろした先では、首より下の少し露出した肌の部分にぴったりと頬をくっつけて
 いるらしい子供が、寄りかかるように身体を預けている。
 こちらの問いかけに顔を上げることはせず、少し気の抜けたような声で返事をした。

 「や、クーラー代わり?」

 何で疑問形なんだ。

 いちいち予想外の行動をしてくる子供を静かに見下ろしながら、しかし内心は
 穏やかではなかった。
 身体の中で何かが蠢いているのを感じる。
 ざわざわと体内を侵食するかのように駆け巡っているものは、一体なんだろうか。
 訳の分からない衝動に突き動かされ、無意識の内に影に沈んでいた腕を上げた。

 ゆっくりと上がった腕を、自分に身体を寄せている子供の肩へと廻す。
 白い手袋に覆われた指先は、子供に気付かれる事なく目的の場所へそろそろと
 伸びていく。

 「あ、ひょっとしてオレがくっついてたら、フエ、暑いか?」

 突然、物凄い勢いで子供が顔を上げた。
 小さな肩に触れそうだった指は、既でのところで止まった。

 「・・・・・・・・・?フエ?」

 見上げてくる子供の顔を見下ろしながら、複雑な思いに駆られる。
 果たして今、自分は何をするつもりだったのだろうか。
 この手を子供の肩に乗せて、それで。一体どうするつもりだった?

 己の問いに答えをもらえない子供が小さく首を傾げながら、フエ、と促すように
 名前を呼ぶ。
 不思議そうに、しかし真っ直ぐにこちらを見つめてくる視線から、さりげなく顔を逸らして。
 宙に浮いたままで止まっている間の抜けた腕を、再びゆっくり動かしはじめる。

 「…いや。やっぱりさっきの話、全然理解してねぇんだな、ニィちゃん。
  ニィちゃんの体温程度じゃ、何も感じやしねぇよ。」
 
 本来の目的地から離れた手を子供の頭の上へ乗せ、多少乱暴に撫でてみた。
 すると子供は、こら、やめろよフエ、と何故か可笑しそうに笑いながら、頭上の手を軽く
 払い除けて。うん、とひとつ、小さく伸びをしてから立ち上がり、地面に腰を下ろす事で汚れて
 しまったズボンをパタパタと叩いた。

 「よっし、休憩タイム終了〜!行くか、フエ!」

 多少は暑さが解消されたせいか、強い足取りで歩きはじめる子供。
 その背中を眺めながら、苦い思いで口の端を歪ませる。

 …まぁ、何も感じない、ってぇのは嘘なんだけどな。

 本来ならば、人間の体温に触れたとしても、この身体が温度の上昇を感じる事はない。
 だが、あの子供が触れた場所からは、確かに。
 じんわりと広がるように、蝕まれるように。
 微かな熱が伝わるのを感じた。

 「おーい、フエ!早く来いよー!置いてくぞー!!」

 「…へいへい」

 自分の中に生まれた不可解な感情と感覚。
 半ば自棄気味に自嘲の笑みを浮かべながら、幾分か傾いてきた陽射しで長く伸びた
 子供の影に潜り込んだ。


 

 


 後にこの感情と感覚に、随分と苦悩させられる事になるとは思いもしなかったのだ。

 この時は、まだ。

 

 

 

 

 

 

 


まだ無自覚な不壊と何も考えてない三志郎。(笑)
温度を感じない身体のはずの不壊が、三志郎の体温だけは
感じられるようになっちゃうような乙女攻だったら面白い。(え)
妖怪の体温設定は勿論捏造ですYO!
06/7/12