まるで人と接するように、妖と遊ぶ子供を眺めて。
 隣に座る男は、薄らと微笑む形に口の端を歪めながら、紅い眼を細めた。
 共にいると退屈しないと、自嘲気味に小さく呟くその面差しは、以前会った時のこの男からは
 想像も出来ないほど柔らかなものだった。
 


 

 「じゃあみんな、またな!」

 襲ってきた敵を退け、静寂の守られた妖の隠れ里に。
 暗闇の中でも、眩しくなるような笑顔を残して。
 その身を挺して里を守った子供は、男と共に現へと還って行った。

 「…三志郎様…。本当に…不思議な方だったわね、兄さん…」

 逆門に従う男と共に現れた、長が認めたという子供。
 最初はあれほど敵視していた妹は、彼の人の無垢で真っ直ぐな性質を知り。
 今は穏やかな眼差しで、子供が還って行った空間を見つめながら、ポツリと呟いた。
 子供と共に遊んだ妖たちも名残惜し気に、彼女の視線の先と同じ場所を見つめたまま、
 いつまでもそこを動こうとしない。

 「…ああ…不思議な…子供だった…」

 己もまた、既にただの闇と化しているその場所を見つめながら、呟く。
 また来ると云って綺麗に笑ったあの幼い顔が、脳裏から離れない。

 彼の人と共に過ごした時は、ごく短い時間の事だ。
 長き時を生きる我々にしてみれば、それは瞬きをする間にも等しい時間。
 しかし我々の中に―――この、胸の中に。
 彼の人の存在と、共に過ごした時は、深く―深く、刻み込まれた。

 

 

 

 

 

 ただ、貴方を待つ事を
 

 

 

 

 

 

 封印を施された故に、この里は外界との接触を絶たれた。
 戦う術を持たない、力の弱い妖たちを逆門から守るために。
 それは我々が自ら望んだ事だった。
 長と同じように、我々は妖の未来をあの子供に託したのだ。
 いつかきっと彼の人が願いを叶え、その手で里の封印を解いてくれる事を祈りながら。
 あの綺麗な笑顔のままで、「約束通り、また来たよ」と、この里を訪れる事を夢見ながら。

 里が封印されたあの日から、どれほどの時が経ったのだろう。
 彼の人がこの地を去ってからというもの、以前はさほど気に留めた事もない「時間の経過」が、
 今ではこの思考を――心を、乱して止まない。

 彼の人は、願いを叶えただろうか。
 いや、まだ戦っているのかもしれない。――あの男と共に。

 逆門に従ったとして裏切り者と呼ばれるようになった、黒尽くめの痩躯の男。
 自分の知っている限りでは、眉間に深く皺を刻んだ、不機嫌な表情をしているか――口の端を
 皮肉気に歪めた、「笑み」と云うには不穏当な表情をしている以外の記憶はない。
 この地に訪れた時に見せた、まるで微笑むかのような表情を――あんな風に柔らかい雰囲気を出せる
 男では、決してなかった。
 
 彼の人を見つめる、紅い瞳。
 常ならば、燃え盛る炎と同じ色をしたその瞳は、その色からは想像も出来ないほどの
 冷たい光を放っていた。
 しかしあの時見た紅い色は、滲むような、暖かい光を宿していたのだ。
 はじめて見たそれに、思わず息を飲んだのを覚えている。
 あの男をああまで変えたのは、間違いなくあの子供であろう。
 逆門や人間に対する敵対心を持った妖たちやかがりでさえも、彼の人によって変わった。
 そして、己も。

 本音を云えば、里を去る彼の人について行きたかった。
 妖たちの未来を託すだけではなく、共に戦いたいと思ったのだ。
 例え、一鬼や一角のように撃符に封じられたとしても、彼の人の役に立てるのなら。
 同じ時間を過ごしたのはほんの数刻の事だったが、そう思えてしまう何かが、
 彼の人にはあった。
 だが己には、この里を守るという、果たすべき役目がある。
 だから。
 あの時己は、彼の人の小さな背中を見送ったのだ。

 外界から遮断されたこの地では、彼らが今どうしているのかなど知りようもない。
 ただ、彼らを信じて待つ事しか出来ない。
 その事が日々、奇妙な焦燥感となってこの胸の内に降り積もっていくのだ。
 あの日から、彼の人が還って行ったこの場所をただ黙って見つめるしかない己に対し、
 苛立ちを募らせる事しか出来ないでいた。

 「雷信兄さん」

 呼びかけに振り返れば、かがりが少し離れた場所で、こちらを窺うように立っていた。
 少し躊躇いを見せながら、愁然とした表情でこちらへ近付いてきた彼女は、
 目を細めて封ぜられた場所を見遣ると、小さく呟いた。

 「三志郎様は…またここに、この封印を解きに…来てくださるかしら?」

 まるで独り言のようなそれに、く、と小さく息を飲む。
 勿論だ、と云いたい。彼の人は約束を破るような方ではない、と。
 だがそれは、我々の…己の、願望でしかない。
 彼の人を信じていないわけではない。
 しかし即答は出来ずにいると、隣で幽かに笑う気配がした。

 「兄さん、本当は…三志郎様と共に行きたかったのでしょう?」

 その言葉に慌てて顔を上げると、かがりはまだ笑みを止めぬまま、こちらへ視線を移していた。
 穏やかに微笑む彼女の顔を、何故か真っ直ぐ見返す事が出来ずに、不自然に顔を逸らす。
 己の心情は、情けない事に全く隠せていないようだった。

 「彼らが還ったあの日から毎日、兄さんはこの場所を見つめていたから。
  …待つ事しか出来ぬ身が、もどかしいのでしょう?この場所を見つめる兄さんの顔は、
  とても…苦しそうに、見える…。」

 云いながらかがりは、自身も苦しそうに美しい顔を歪めた。
 確かに彼女が云う通り、ただ待っているだけしか出来ぬ事はもどかしい。
 だが、この思考を、心を支配しているものは、それだけではないのだ。
 『それ』が何かは、己にも分からない。
 ただ、何かが乾いていくような。何かが灼き切れていくような。

 ――彼の人の事を想う度に、いつも。

 「…さん…兄さん?」

 いつの間にか、念慮に捕われていた己を呼ぶ声に、ぎこちない笑みを返す。
 今更、だ。

 「…この里の封印を決断したのは私自身だ。今更何を思い悩んだとて、もうどうにか
  なるものでもないのにな…。」

 何かを振り切るように、ひとつ、深い息を吐く。

 「兄がいつまでもこんな様ではいかんな。お前にもいらぬ配慮をさせてしまった。
  すまんな、かがり。」

 出来るだけ、平静を装いながら答えたつもりではあるが、上手くいっていただろうか。
 かがりを見遣れば、彼女は一瞬だけ困惑の表情を浮かべたが、すぐに穏やかな笑顔を作った。

 

 ――そう、この状況ではもう、待つ事しか許されぬのだ。
 いつの日か、再び彼の人がこの地を訪れるその時まで。
 彼の人の無事を祈り、待つ事しか。
 私には――それしか出来ないのだ。

 
 

  

 

 


 ただひたすら待つ男、雷信。(笑)
 三志郎への恋心はまだ全ッ然自覚しておりません。
 つかネガティブだなー色々と…。