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気まずい空気が流れている。
…そう思うのは、己だけであろうか。
夕餉の支度をするために、かがりが席をはずした後。
彼の人は、傍らに胡坐をかいて座る男と幾つか言葉を交わし、それから
こちらに一度視線を向けて、それっきり沈黙してしまった。
色々と、話したい事はある。
しかし彼の人は俯いたまま、もう冷たくなってしまったであろう茶を啜っている。
雰囲気が、まるで「話しかけるな」と拒絶しているかのようで、茶を入れ直そうかと
声をかける事も躊躇われた。
なにか、この気まずい空気を吹き飛ばすための打開策はないものか。
救いを求めるように黒衣の男を見遣れば、男は何かを探るような視線を
こちらに向けていた。
「…不壊殿、何か?」
不審に思って問いかければ、男は口角を引き上げて歪んだ笑みを作った。
「いや、別に。」
短い返答の後、何事かを呟いたようだったが、何を云ったのかは分からなかった。
ただ紅い瞳だけが、刺すような視線を投げかけてくる。
己は彼の人だけではなく、この男まで不快にさせるような事を、何かしたのだろうか。
どれだけ記憶を辿っても、己にその理由は思い当たらない。
尚一向に気まずい空気が改善される様子はなく、思わず溜息が零れてしまった。
それが、余計に気に触ってしまったのだろうか。
己が溜息をついた直後、彼の人が勢い良く顔を上げ、こちらを見た。
「三っ…志、郎…殿?」
漸く真っ直ぐ見る事の出来た彼の人の顔は、何故か悲しそうに歪んでいて。
名を、呼ぶ声が。
思わず震えた。
彼の人の唇が小さく開き、何か音を紡ごうとして。
そして、やはり。
小さな口は、何の音も生み出さぬまま、閉じられてしまった。
ずきり、と、胸に痛みが走る。
こんな。
こんな顔を、見たかったのではない。
こんな風に悲しく歪んだ彼の人の顔を、見たかった訳では。
しかし恐らく、そのような表情をさせているのは、己なのだ。
不甲斐ない己に無性に腹が立ち、ぐ、と顔を顰めた。
「…おい、ニィちゃん」
ほんの少しの間を置いて、声を出したのは、彼の人の隣に座る男だった。
「いつものお前さんらしくねぇじゃねぇか。云いたい事があるならはっきり云いな」
男は彼の人に語りかけつつ、しかし何故か視線だけは、ひたりとこちらに向けていた。
すう、と細められた紅い瞳が、真っ直ぐと射抜くように――己に向けられている。
まるで、彼の人に斯様な顔をさせてしまった事を咎めるかのように、真っ直ぐに。
責めるようなその視線に、己は。
それを受け止める事が出来ずに。
ただ、瞳を伏せる事しか、出来なかった。
「…な…んでも、ねぇよ、別に…」
消え入りそうな小さな声で。
彼の人がどんな表情でそう云ったのかは、目を閉じてしまった己は知らない。
次に耳に届いたのは、男のついた短い溜息だった。
「そうかい。…まぁ、別に俺は構わんがね…」
ゆるゆると瞼を上げれば、未だ此方を見据えたままの男と、再び俯いてしまっている
彼の人の姿が映る。
…如何したら。
如何したら良いのか、分からない。
如何すれば、彼の人の笑う顔を見られるのだろうか。
あのように悲しい顔で俯いているのは、己の所為だと云う事は分かっているのに。
何も出来ないでいる己に苛立ち、強く、強く唇を噛んだ。
「食事の準備が出来ました」
すらりと襖を開けたかがりが、重苦しい沈黙を破った。
聡い彼女はぎこちない空気を感じ取ったのか、次の言葉を出す事を一瞬躊躇った。
しかし直ぐに彼の人に笑顔を向けると、さぁ此方へ、と声をかける。
「以前お約束した通り、腕に縒りをかけて作らせていただきました」
優しく微笑むかがりに、彼の人はほっとしたような表情を見せた。
「う、ん!かがりさんの料理、オレすっげぇ楽しみにしてたんだ!!」
そう云って明るく笑った彼の人は、勢い良く立ち上がり、かがりの後について
部屋を出て行った。
…己の方を、見ようともせずに。
「…んじゃ、まぁ…俺たちも行くかね」
億劫そうに立ち上がった男が、軽く此方の肩を叩き、彼の人を追って部屋を出て行った。
一人部屋に残された己は、まるで鉛のように重くなった身体を動かす事が出来ずに。
苦しくなるばかりの胸をぎゅうと強く掴み、彼の人の座っていた場所を、ただ見つめていた。
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