|
そんな事を考えながら見つめていた先で、それまで一心に楓の木を見上げていた雷信が、
ふ、とその表情を緩めた。
やっと探していた何かを見つけたような、嬉しそうな顔。
…おいおい、あんな顔の雷信、今まで見た事ねぇぞ?
キィン、と鋼を弾くような、高く澄んだ音を震わせて、その背から弧を描く刃が現れる。
何を――?と思った次の瞬間に、その刃が細く伸びた形状に変わり、ひゅ、と乾いた
音を立てて高い位置の空を切り裂いた。
ややあって、はらはらと降ってくる赤い葉と、かさりと軽い音を立てて、雷信の足元に
落ちてきた小さな楓の枝。
それを拾い上げて、くるりと指で回してから、満足そうに頷いた。
そして妙に軽い足取りで、此方に近付いてくる。
「イズナ、」
名を呼ばれて何かと問えば、懐から何かを取り出して、先刻伐り落した楓の枝と一緒に
オレに差し出す。
「これを、届けて欲しいのだが…」
「これ、手紙…か?一体誰に」
楓と一緒に渡されたのは、几帳面にも隅をきれいに揃えて折り畳まれた半紙。
小さな枝は、こうして近くで見てみると、活き活きとした赤い葉が見事なバランスで
茂っている、美しいものだった。
そうか、雷信は誰かにこれを贈るために、あんなに一心に楓の木を眺めていたんだな。
そうして一番美しい枝を、自分の刃で伐り落した。
その手紙を渡すのは、余程大事な相手なんだな。あの朴念仁の雷信にも、とうとう懸想する
ような相手が出来たって事か?けどそれなら、その飾り気のなさ過ぎる半紙じゃあちょっと…
などとオレが思っていると、雷信は少し照れたように笑いながら、
「三志郎殿に」
と、一言。
…へ?三志郎…?
オレは目を大きく見開いて、雷信を見上げた。
雷信は顔を僅かに赤くして、所在無さ気に視線を彷徨わせた。
それから小さな声で、「頼めるか?」と聞いてくる。
「あ…あぁ…構わねえけど…三…三志郎に、で…いいんだな…?」
ちらりと横目でかがりを見れば、彼女は特に何かを云うでもなく、ただ穏やかに
微笑んでいる。
…えぇえぇえ、ツッコミなし…?
何だか嫌な汗をかきはじめたオレに気付く事無く、雷信は先刻のオレの問いに
「ああ」と短く応えた。
オレはぎこちない動きでそれを受け取ったが、雷信は手紙を届けてもらえる事に
安堵したようで、俺の不自然な動きなど気にする様子は全くない。
「じゃ…じゃあ早速、い…行って来る、と…する、かな!」
何故か居た堪れない気分になって、オレはそそくさとその場から立ち去った。
オレは他の妖たちに比べると、人間の住む世界と妖の住む世界を行き来する
事が多い。それ故に、今年の夏に三志郎が妖怪城へ遊びに来た時も、その
連絡役はオレがやっていた。
…とは云っても、オレが不壊に呼び出されて、不壊が三志郎からの言葉をオレに
伝える、といった形だったから、オレ自身が直接三志郎に会っていた訳ではない。
だから実際、げぇむの後に三志郎に会えたのは、今年の夏が初めてだった。
それからも会いに行ってはいないので、ひと月と半分くらい振り、ってとこだろうか。
オレだって、三志郎の事はお気に入りなんだ。
人間だけど、友達だって思ってる。
だから、三志郎の生まれ育った場所を訪れるのは、楽しみでもあった。
…だけど、オレはそこで、見てはいけないものを見てしまった気がする。
最初にそれを目にした時は、オレは一瞬、自分の目がおかしくなって
しまったのかと思い、何度も目を擦ったほどだ。
妖も、変われば変わるモンなんだなぁ…と、しみじみ思った瞬間だった。
三志郎が住む島に着いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
ごちゃごちゃした都会と違って、自然がありのままの姿で多く残っているこの場所は、
穏やかでいいところだ。
こういう場所で、三志郎は伸び伸びと育ったんだなぁ、と妙に感心する。
生家は旅館を営んでいると云っていた。
小さな島なので、宿泊施設はそこ一軒のみ。見つけるのは容易かった。
さて、三志郎は何処にいるかな。
建物の中を覗いてみたが、お目当ての人物は見当たらない。
学校から、まだ帰って来ていないのだろうか?
仕方ないので少し待ってみるか、と、建物の裏手に回った時だ。
そこでオレは、有り得ないものを目にした。
…不壊だ。不壊がいる。
不壊がそこにいる事自体は、別段有り得ない事でもなんでもない。
本来の身体を取り戻した不壊は、個魔として三志郎の影に潜んでいた頃とは違い、
今は三志郎に取り憑くという形で傍にいる。
三志郎から離れている事も出来るし、自分の意志で人前に姿を現す事もできる。
恐らく今は、三志郎が「学校」という場所に行っているので、不壊はここに残って
いるのだろう。…それは特に、気にする事ではない。
ただ、気にするべき事は。
不壊は今、人間に見える形でそこにいる、という事だ。
それも、いつもの不壊からは想像も出来ないような姿で。
オレはごしごしと目を擦ってから、もう一度不壊を見た。
…あ、やっぱり錯覚とかじゃねーや。
オレが見た不壊の姿、それは。
頭に黒いバンダナを巻いて、銀色の長い髪を後ろでひとつに束ねていた。
もう秋であるのに、今日の天気は快晴。夏ほどではないが、割と日差しが強い。
そのせいかどうかは分からないが、不壊は黒い半袖のTシャツを着ていた。
(人の姿に似てはいるが妖なので、暑さや寒さは感じないはずだが)
ひょろりと長い脚に纏っているのは、黒いジーパン。
そのラフな格好の上から身に着けているのは、胸の辺りに「TAMON」と
プリントされた黄色いエプロン。
そんな姿の不壊が、空のビール瓶の入ったケースを運んでいたのだ。
…なんだ、この光景は。
声をかけていいものかどうか、オレは迷った。
だって、あの不壊が。
あの面倒臭がりで有名な不壊が、人間のような姿で、人間のように働いているのだ。
そう、働いている。
声をかける事が出来ずに呆然としているオレの目の前で、不壊は勝手口のような場所
を何往復かして、重そうな空き瓶入りのケースを裏手へと運んでいた。
結局声をかけるタイミングを逃したオレは、建物の影から不壊の働く姿を見守っていた。
すると漸く、オレの気配に気付いた不壊が、つい、と此方に視線を向けたのだ。
「あ、ふ、不壊…」
不壊の表情が、ぐにゃりと歪む。
……怖ッッ。
何か物凄い形相でオレを睨んでるんですけど。
「…見たな…」
地を這うような低い声で、不壊が云う。
その、呪い殺されるような響きの声に、オレの全身の毛がぞわりと逆立った。
「ひ、い、いや、あの、オレ別にその、そんなつもりじゃ…」
不壊の声と物凄い形相に気圧されて、オレは半泣きで訳の分からない事を口走った。
ふるふると首を振りながら後退るオレに、不壊がじりじりと近付いて来る。
捕まったら、口封じに殺される。
そう云っても過言ではない雰囲気に、オレは頭の中でどうやってこの場から逃げようかと
必死になって考えていた。
恐ろしいほどの殺気を纏った不壊が、オレとの間合いを詰めようと足を踏み出しかけた、
その時。
「フエ!フエー!?何やってんだい、早くこっちに来とくれー!!」
勝手口の奥の方から、不壊を呼ぶ女の声がした。
その声に、不壊がびくりと反応する。
慌てたような表情で、不壊は声のする方向へと顔を向けた。
「す、すぐ行く!ちょっと待ってくれ!」
そう返事をすると、オレに向かって、ち、と小さく舌打ちをする。
「何しに来たかは知らねぇが、この事は誰にも云うな」
それだけ云いおいて、中へ戻ろうとした。
呆然とそれを見送りかけて、本来の目的を思い出し、慌てて扉の奥に消えかけた背中に
声をかける。
「お、おい不壊!三志郎は!?」
「ニィちゃんは学校だ。あと2、3時間もすりゃ帰ってくる」
そう、声だけが返ってきた。
不壊がいなくなったその場所で、オレはしばらくそこから動けないでいた。
…ホント、何だったんだ…アレ。
しかし好奇心が旺盛なオレは、三志郎が帰ってくるまでの間、不壊の行動を観察する
事にした。
オレの姿は人間には見えていないので、堂々と建物の中に入り込む。
でも不壊に見つかると後が怖いので、遠くから見守る事にする。
不壊は先刻の声の主であるらしい女と話しをしていた。
あれ、あの顔。見た事あるな。
不壊と話している女は、一年前のあのげぇむの中で見た顔だ。
そう、三志郎の母親だったな。
確か、三志郎が最も恐れている人物だったはず。
その面差しは、三志郎に良く似ていた。活気のある大きな目と、太い眉が特に。
話している二人の様子を伺っていると、不壊は何か別の仕事を云い付かっているようだ。
…すげぇ。あの不壊が、大人しく云う事を聞いている。
しかし不思議なのは、妙に不壊がここに馴染んでいる事だ。
三志郎の母親は、不壊が妖である事を知っているのだろうか?
「知ってるよ、げぇむが終わってフエを連れて帰った時、全部母ちゃんたちに話したから」
漸く帰ってきた三志郎に聞くと、そういう応えが返ってきた。
「話したって…自分に取り憑いてる妖怪です、ってか?」
「うん」
うん、ってそんなあっさり。
「最初はびっくりしてたけどな。でも、オレの大事なパートナーだ、って云ったら
父ちゃんも母ちゃんもそうか、って。今じゃ普通に家族の一員だぜ?」
…それは…さすがに、この三志郎を育てた親だけはある、と云うか…。
「んでさ、暇なら仕事手伝えって云われて、あーゆー事になってるワケ。どうもフエのヤツも、
母ちゃんには頭上がらないらしくってさ!」
おっかしーよなー、と三志郎はからから笑う。
いや…すげぇよお前ん家。多聞一家凄すぎ。妖怪働かせちゃう人間一家、有り得ねぇ。
しかもよりにもよってあの不壊を。
「で、イズナ、オレに用だったんだろ?なに?」
そう云われて、再び忘れかけていた本来の目的を思い出す。
オレは雷信から預かったものを、三志郎に渡した。
「これ、届けてくれって、雷信に頼まれたんだ」
「…オレに?雷信さんが…?」
楓の枝と半紙を受け取って、三志郎は少しの間、じっと黙ってそれを見下ろしていた。
それから楓の枝を手に取ると、雷信がそうしたのと同じように、指でくるりと回してみる。
「…すげぇ…綺麗だなぁ…!」
云いながら笑った三志郎の顔は、何故かどきりとするほど綺麗だった。
嬉しそうに顔を綻ばせて、折りたたまれた半紙を広げて手紙を読み始める。
ちらりと横から覗き見ると、雷信の性格が出ている、きっちりと並んだ墨字が見えた。
行儀悪く盗み見た内容は、三志郎に変わりがないか、というような挨拶とか、
里の近況とか、他愛のない事だけだった。
文の最後には、また会える事を心待ちにしている、と。
ただ、それだけの手紙。
…雷信は一体、どういうつもりでこの手紙を書いたんだろう。
手紙を渡された時の状況から考えると、もっとこう…色っぽい事でも書いてあるのかと、
何故かオレが妙に動揺してしまったというのに。
わざわざ手紙として書くような内容でもないだろう、これは。
次に会った時に、そう云えばこんな事があって…と話せばいいような内容だ。
けれど、それを読んでいる三志郎の顔は、なんだか見ているオレの首の辺りがむずむずと
こそばゆくなってくるような…上手く云えないけど、とにかく嬉しそうに微笑んでいた。
全て読み終わった三志郎が、ふう、と短く溜息をつく。
それから折り目通りに、丁寧に半紙を畳むと、大事そうに上着のポケットに仕舞った。
…変わったのは、オレたちだけじゃないんだ、と。
この時、そう思った。
三志郎もまた、変わったのだ。
性格とか、喋り方とか、そういうところは全然変わってはいないけど。
三志郎の中の何かが、ほんの少しだけ。
一年前のあの夏とは、違っているように思えた。
三志郎の顔を見上げながら、そんな事を考えていると。
「そうだ、返事どうしよう!」
急にそんな事を云い出した。
「今から返事を書いて…あーっ、でもオレ、手紙なんか書いた事ねーからなぁ!
しかも字、汚ぇっていっつも唯に怒られるし…頑張って書くにしても、何て書いたら
いいのか分かんねーしなぁ…書きたい事いっぱいありすぎだよ〜…」
どうしようかと、うんうん唸りながら考えている姿を見ると、やっぱり変わってないかも…
なんて思えてきたりもする。
「…!あ!そうだ!ちょっと待っててくれ、イズナ!」
突然そう叫ぶと、オレが応えを返す前に、三志郎は慌てて家の中に入っていった。
待つ事暫し。
三志郎は白い封筒を手に戻ってきた。
「これ、雷信さんに渡してくれ!」
物凄い勢いで差し出された封筒に、大きな字で「雷信さんへ」と書いてある。
…本当に字ぃヘタだな…三志郎…。
それはまぁ、ともかく。
本来の目的を達成したオレは、今度は別の目的を果たすために、島を後にした。
今度はもっと、ゆっくりと遊びに来ると、三志郎と約束をして。
…不壊とは、顔を合わせないで帰って来た。
なんか…会ったら殺されるような気がしたから…。
里に戻って、真っ先に雷信の元へ向かう。
三志郎から預かった封筒を渡すと雷信は、手紙を読んでいた時の三志郎とよく似た
表情を作った。
封を開けて中身を取り出すと、それは四角形の小さな紙。
…いや、よく見ると、それは写真のようだった。
確か、ぽら…なんとかかめら、とかいう機械で写されたそれには、雷信が贈った
楓の枝を持って、満面の笑みを浮かべた三志郎の姿。
そして写真の下の空白の部分には、大きく汚い字で、
「カエデすごくきれいだな、ありがとう」
「また会いに行くから」
と書いてあった。
それを見た雷信はまた、オレが今まで見た事のない顔で。
それは嬉しそうに、
本当に嬉しそうに、笑っていた。
|