あの時は思いもしなかった。 まさか。 まさかこんな事になるなんて。 まるで悪い夢を見ているような。 そう、これが夢ならどんなによかったか。 夢なら―――夢なら早く。 はやく、醒めてくれ―――― 薄く開けた瞼の隙間から、白い光が差し込んでくる。 その眩しさにもう一度瞼を閉じて。 「…夢…じゃ、ない…んだよなぁ…」 云いながら、憂鬱な溜息を一つ。 「…本当に…夢だったら、どんなによかったか…」 呟きながら、身を起こす。 爽やかな朝の目覚め―――には程遠く。 「…嫌な汗、かいたァ…」 未だ隣で眠る澳継を起こさないように。 龍斗はじっとりと湿った夜着を脱ぎ捨てた。 ◇たいせつなひと◇ 「…と云う訳だ。暫く大きな動きはせぬが、 皆くれぐれも気を抜かぬようにな。」 天戒の言葉を受けて、鬼道衆の面々は徐に腰を上げた。 幕府側に大きな動きも無く。 鬼道衆側としても、今の所派手に動く予定は無い。 皆、束の間の休息を過ごすため、道場を後にしようとしていた。 龍斗は…といえば。 天戒の言葉が終わったと同時に立ち上がり、 そそくさとこの場を立ち去ろうとしていた。 「おい、たんたん!何急いでるんだよ!!」 そして龍斗にしてみれば最悪のタイミングで、澳継が声をかけた。 …このまま無視して立ち去ろう。後が煩いけど。 今の切迫した状況を考えれば、後で澳継に喚かれる事など 大した問題ではない。 龍斗は聞こえなかった振りをして、出口へと歩を進める。 「たんたん!!てめ、聞こえねぇ振りしてんじゃねぇ!!」 煩い!今はそれどころじゃねぇんだよ! 必死なんだよ俺も! 後ろでキャンキャンと喚く澳継を更に無視し、 扉へと手をかけた、その時。 「…あぁ、少し待ってくれぬか、母上。」 背後から掛けられた、天戒の声に。 …何故そのまま聞こえない振りで立ち去ってしまわなかったのかと。 後悔しても、時は既に遅く。 「すまぬがまだ話したい事がある。少しここに残ってくれぬか?母上。」 思わず振り向いた先には、何故か嬉しそうに微笑んでいる頭目と、 それを奇妙なものでも見るような視線を送る鬼道衆の姿が。 …いや…何か予想通り、皆が不ッ思議そ〜にアナタを見てますけど…。 気が付いてますか御屋形様…?その視線に…。(泣) 「…若?今…のは、俺の聞き違い…ですかね?」 少しの間を置いて、漸く九桐が声を出した。 「聞き違い?何がだ?」 きょとん、とした表情で、天戒が聞き返す。 「…いえ、今、若が…『母上』と…云ったように」 「?あぁ、云ったぞ。それがどうかしたか?」 至極当然の事のように、天戒は云って退けた。 その一言で、声を掛けられた者―――龍斗へと、皆の視線が一斉に集まり。 …やっぱり、無視して出て行くべきだった…。 激しく後悔する龍斗の横に、いつの間にか桔梗が佇んでいた。 「…たーさん、今の状況を簡潔に説明してくれないかい…?」 「…いや…実は俺も何でそうなったかよく分からないんですけど…」 何となくコワイ雰囲気を醸し出している桔梗に応えてから、 仕方なく天戒に声を掛けた。 「…あの、御屋形様。話って…」 「母上!」 天戒は声色を低めて、龍斗の言葉を遮った。 「は、…い?」 「これからは名前で呼ぶようにと云った筈だが?」 話し方も、もっと砕けた話し方で良い、と。 …何故か頬を赤く染めて俯きながら、天戒は云った。 「…じ…じゃぁ、て…天戒…?」 「何だ、母上?」 …すっげぇ調子狂うんですけど…。 「え、えーっと…話って、何です…いや、何かな…?」 尋ねれば、嬉しそうに微笑んで。 「う…うむ、少し…ここでは、その…」 …いや、だからそんなはにかんだような仕種をされても。 「分かりま…いや、分かった。じゃぁ、部屋で待っててくれ。 少し皆と話をしてから行くから。」 分かった、と頷き、天戒は出て行った。 …さて。 「…で?何がどうなっているのか教えて貰おうか、龍斗。」 いつも落ち着き払っている嵐王さえも、微妙に動揺を隠し切れずに尋ねてきた。 「う〜ん…まぁ、話せば長くなるんだけどな…」 とりあえず、皆に事情を飲み込んで貰わない事には話が進まない。 胃が痛くなるようなこの状況を打破するため、龍斗は前夜の出来事を 語り出したのだった。 |